私が中国古典を学ぶ理由
私が3、4年前から中国古典を学んでいる理由は
ズバリ「人生に役立つから」です。
中国古典は経営者や管理職などの方々が
学んでいることが多く、やはり目的は
「理念」だったり「哲学」を自分自身で持ちたから
というのが多いかと思います。
そこで、今回は中国古典の中でも超代表的な
ものを取り上げて、その素晴らしい思想をご紹介したいと思います。
中国古典全体として、本当にすごいのは
だいたい冒頭の第一節に、その古典のテーマを
集約してしまっているところです。
こんな哲学書ってなかなかないのではないでしょうか。
最初の一行でおおよその全体像がわかるって
すごいことです。
まず、その文書の構造自体がよく考えられている。
論文でさえ、そんな構造になっていないことが
あるくらいなのに
「中国古典をまとめた人、作った人」なんてすごいんだーって
感動する。。。単純に。。。
ですから、それぞれの冒頭部分を紹介していきましょう。
論語の冒頭
まずは、中国古典といえばこれ!
孔子の「論語」ですね。
私も中国古典学んでから知ったのですが
孔子は書物を残したことがありません。
すべて、大勢の弟子たちが孔子の死後にまとめたのです。
で、孔子のプロフィールについては長くなので、こちらをどうぞ
早速、「論語」の冒頭いってみましょう。
「子曰く。 学びて時としてこれを習う。悦ばしからずや。
友遠方より来るあり。また楽しからずや。
人知らずしてうらみず、また君子ならずや。」
【ここがすごい!ポイント】
この特に最初の一行がすごい!
「子」というのは孔子のこと「子」とは先生という意味です。
「時として」はさらに、ますますという意味。
「習う」は漢字「習」の語源から解説すると
「ひな鳥が翼を動かした飛び方を習う」ということです。
漢字で、「羽」に下の文字が「白」じゃないですか。
これは白い羽を表しています。
まさに雛鳥が何度も何度も飛び立つ練習をすることです。
つまり反復練習をすること。
「学んだ」ことを、さらに反復練習することです。
そして、「よろこぶ」が「喜ぶ」ではなく「悦ぶ」という漢字です。
これは一人で密かに取り出して、それを見てよろこぶ様(さま)。
ですから、学んでそれを身につけるべく、反復演習していくことは
なんともいえない喜びがある、そんな解釈なのです。
これは「学ぶ」ということのズバリ本質を表していると思います。
まとめると・・
「先生(孔子)がおっしゃるには、学んでさらに反復演習し、それを身につけることは
なんともいえない喜びである」
つまり、「学ぶ」って本来はそういうことなのですね。
逆にこれがないと「学び」とはいえない。
この「学ぶ」という定義に標準を合わせると
本当に「学ぶ」という意味がわかるようになってきます。
しかし、この解釈はあくまでも私の解釈。
ここが中国古典の面白いところです。
解釈は人によって自由なのです。
また、同じ人であってもその時によって
解釈は違ってくるでしょう。
だから今回もあくまでも私の解釈と思って
ください。
大学 冒頭
これも孔子の思想で「大学」。ユニバーシティではありません。
「大いなる学び」って意味です。
「大学の道は明徳を明らかにするに在り」とあります。
これは
「大学」は「大いなる学び」ですね。
「明徳」とは「徳を積むこと」です。そして「徳」とは何か?
それは「他者のために自己の最善を尽くすこと」です。
まとめると・・・
「大いなる学びの道は、明徳を明らかにする、つまり徳を積むことが目的である。
そして徳とは、「他者のために自己の最善を尽くすこと」である」
【ここがすごい!ポイント】
これ、すごくないですか!!
たったこの一行だけで、物事の本質をズバリ言ってしまっている。
しかも、例えば「大いなる学びの道」って色々なことだと言えます。
仕事は「大いなる学びの道」だと言えば、そうだし
親業も「大いなる学びの道」
恋愛も「大いなる学びの道」
友情も「大いなる学びの道」
だとすると、それはなんのためかというと
「他者のために自己の最善を尽くすこと」なわけです。
すごい!!
こんなふうに自分で解釈していくわけですよ。
この「大学」を学ぶこと、知ること自体が自分を高めてくれる
本当にそう思います。
中庸の冒頭
天の命ずるをこれ性と謂う(いう)
性に率う(したがう)をこれ道と謂う
道を修むるをこれ教えと謂う
「性」はもともとその人に備わっている性質のことですね。
「修める」は修得する、知り、磨き上げていくこと。
まとめると・・・
天から与えられた、もともとその人に備わっている性質を「性」と言い
その「性」を生かして、従って生きていくことを「道」という。
そして、その「道」を知って、磨き上げていくことを「教え」という。
【ここがすごい!ポイント】
私がこの「大学」の冒頭で感動するのは
ここに出てくる言葉ですね。
「天が命ずること」これが天命か!
「人としての道」とか「私の生きる道」っていうけど
ここでは自分の
「天から与えられられた性質を生かして、生きていくこと」が「道」か!
「○○の教え」っていうけど、「道」を極めていくことが「教え」か!
って。
本当に漢字がわかる日本人でよかった!
これアルファベットの西洋人とかアラビア文字とかのアラブ人とか
にはわかならないわけで・・・
この漢字、正確にいうと熟語がわかるって本当に素晴らしいことですね。
それだけで人生のレベルが上がるもん。
そして、これもまた、このたった数行だけで人生の本質が出てくる
「中庸」の思想もすごい。
この冒頭だけでは「中庸」の概念は出てきませんが
逆に出てきていないのにこれだけ奥が深いってすごい。
道徳経の冒頭
孔子シリーズでずっときたので、最後は「老子」で。
老子は孔子の思想(儒教)と真逆で、これもまたいいです。
これはこの中国古典の先生の受け売りですが
「上り坂の儒家、下り坂の道家」
といい、例えば会社でいうと行け行けドンドンの
上り坂の時には儒家で自分を律していく
そして、ちょっと下り坂になった時には
ありのままを認める道家。
ですから、正反対のもの同士、陰陽論を知ることが大事。
では、老子の道徳経の冒頭
「道の道すべきは、常道にあらず。名の名とすべきは、常名にあらず。
名無し天地の始めには、名あり萬物(ばんぶつ)の母にこそ。」
老子の思想の中では「道」が重要な事柄です。
「道」とは万物の生みの母。宇宙の根源、
・・・と言ってもなんだかわかりませんね
そう、わからないのが「道」
これは瞑想をやっているとわかるんですが
私たちが共通に持っている純粋意識と同じことです。
だから、それはそもそも説明のつかないものです。
でも、必ず私たちの中にある。
これは、もうまとめてしまいましょう・・・・
「道を言葉で説明しようとした途端、それは道ではなくなる。
だから「道」は感じてみるしかない、そして体験してみるしかないのだ。
何事もそうだ。実際「感じ、体験すること」で物事がわかるようになる
また名声、有名であることを信用しすぎてはならない。そんなものは
なくても立派な人はいる。
みんな天地が生まれる始めの頃は名前などなかった。
名前がつくようになったのは、万物が生み出されるようになってからだ。
だから、名前などに惑わされてはならない」
この「名前」というのは象徴であって、肩書きと言ってもいいし、
また、もっと解釈を広げて「常識」と捉えて「常識などに惑わされてはならない」
としてもいいかと思います。
老子は講師に比べると本当に雲をつかむようなのですが、
それをまさに「道を言葉で説明しようとした途端、それは道ではなくなる。」と
言っているわけです。
これって、本当に奥が深いなーと思います。
老子は本当に解釈が広く自由になってくる分
こちらが想像力が必要になってくるわけですよ。
でも、その分考えさせられるのでそして言葉でその答えが出なくても
「感じる」ことができます。
そこがすごいなー、と。
老子も人生のヒントが満載です。
ということで、中国古典ってまさに人類の叡智。
これまで多くの人類がそこから学び、そして
数千年の年月を経てもこうして私たちに
大きな示唆を与えてくれるのには
感動します。
ということで、私が中国古典の勉強をして
知っているのは全体のうちのほーーーんの少しですから
これからも少しづつこの知識を身につけ
実践していきたいなと思います。
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上原千友
瞑想インストラクター・人材育成トレーナー(体験型ワークショップやっています!)・早稲田大学非常勤講師
小学校の教員後、法人向け研修会社でコンテンツ開発、インストラクターをする。
【上原千友 講師実績 一部】
メーカー、金融、システムなどの大手企業を中心に、
財務省、人事院、海上保安庁など官庁他
早稲田大学理工学学術院非常勤講師、東京大学、お茶の水女子大学
ロジカル・コミュニケーション、対人対応トレーニング、
英語などの授業で教鞭をとる。
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