これまでの私の人生で大きな影響を与えた人種は
子供たち。
特に大学を卒業をして関わることになった
障害を持った子供たちは
ものすごい、インパクトでした。
彼らは私たちの常識や価値観を知らない分
私に新しい考え方や、価値観を教えてくれました。
例えば
彼らの通知表は、通常の子供たちのそれと違って
ものすごく手が込んでいます。
通常は「よくできる」「ふつう」「がんばろう」などとある
項目に丸いハンコが押してあって、
担任の先生から5行くらいのコメントがあります。
ところが、この特殊学級の子供たちの通知表は
国語、算数、生活、体育などすべての科目が
担任からのコメントとなっています。
それはそうですね。
彼らは、それぞれ違う進度で進めていて
目標もそれぞれにあり、しかも数字では評価しきれない
内容ばかりですから、コメントでしか評価はできません。
時間をかけて担任の先生はコメントを考え書くのです。
当時初めてそんな通知表を見た私は
「ものすごく手の込んでいるなー」と感心していました。
(当時私は担任ではなく、サポート役でそのクラスを担当していました)
そして、いよいよ学期の最終日となり、
通知表を渡す段になりました。
私たちの小学生の頃を思い出すと
通知表はやはり価値ある、重要なものとして
表彰状をいただくように、
一人ひとり両手で受け取って
(ときには「ありがとうございます」と言ってお辞儀をしながら)
もらっていましたよね。
ところが、
そのクラスの子供は通知表を担任の先生から
手渡される時に、全く興味なさそうに
全然違う方を見ながら、
片手で受け取っていました。
そして、
受け取ると、その通知表を落としてしまいました。
それどころか、ボーっとして拾おうともしないのです・・・・
担任の先生が
「ちょっとぉ、拾うくらいしたらー」
と言っても、まだ全然違う方を見て、ボーッとしたまま・・・
思わず、私は「よっぽど興味ないんだなー」とその子らしくて笑ってしまいました。
しかし、ふと思ったのです。
「そういえば通知表なんて、ただの紙だ」と。
紙にその子が興味のある「いっすんぼうし」とかが描いてあったら
(その子は「いっすんぼうし」の絵本が大好きでした)
即座に拾いますが、通知表はただの紙です。
興味がないのです。
「そもそも、この紙(通知表)に一喜一憂する私たちの方が
ヘンなのでは・・・・?」
と逆に私は思ったのです。
考えてみたら、通知表だけでなく、お金だってただの紙。
そんな紙に私たちは
翻弄(ほんろう)されたり、
ときには、人生さえ狂わせてしまうこともある。
そんなふうに、ふと考えさせてくれたのは
通知表を落として
拾わずにボッーとしている
障害を持った子でした。
そして、
私は彼らとの経験を通して
私たちは「生きていく」こととは
あまり関係のない価値観に
縛られているのだ、と気づかされることになったのです。
コメントを残す